石川啄木新硏究冬樹社, 1976 - 346 من الصفحات |
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... 評論、書簡文学としては、まことにすぐれたものだとおもった。小説を読み終って、第二巻短歌を読み進むに従い、私は、全く夢中になってしまった。私は先ず、大正八年四月二十一日に、新潮社から、土岐哀果の編輯で三巻(小説、詩歌集、感想評論書簡集) ...
... 評論、書簡文学としては、まことにすぐれたものだとおもった。小説を読み終って、第二巻短歌を読み進むに従い、私は、全く夢中になってしまった。私は先ず、大正八年四月二十一日に、新潮社から、土岐哀果の編輯で三巻(小説、詩歌集、感想評論書簡集) ...
الصفحة 93
... 評論社版と筑摩書房版の両啄木の日記を比較校合したところ、驚いたことには、両者の相違が、十七行レターペーパーで、百十二枚に及んだ。しかも、世界評論社版にあって、筑摩書房版にないものがあり、反対に筑摩書房版にあって、世界評論社版にないものが ...
... 評論社版と筑摩書房版の両啄木の日記を比較校合したところ、驚いたことには、両者の相違が、十七行レターペーパーで、百十二枚に及んだ。しかも、世界評論社版にあって、筑摩書房版にないものがあり、反対に筑摩書房版にあって、世界評論社版にないものが ...
الصفحة 98
... 評論社版いずれもあやまっている。下段七行「面」は「面」で、皃は貌の略字である。一五頁上段終りから四行目に、「待たれてあり。」とあるが、これは「待たれつつあり。」とすべきで一頁の下段五行目「淡き川」六行目「大川」とあるが、これはいずれも ...
... 評論社版いずれもあやまっている。下段七行「面」は「面」で、皃は貌の略字である。一五頁上段終りから四行目に、「待たれてあり。」とあるが、これは「待たれつつあり。」とすべきで一頁の下段五行目「淡き川」六行目「大川」とあるが、これはいずれも ...